神戸地方裁判所 昭和44年(ワ)574号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕1 伊藤義光(被害者)が、原告ら主張どおり被告会社の占有所有する西江井ケ島駅構内で渡線路を上り線ホームの方に向かい通行中折から進行してきた上り特急電車に接触して死亡したこと、同駅上り線ホームは改札口側から上下線軌道を隔てて向かい側(北側)にあり、同ホームに到達するには本件駅構内渡線路を利用する他ないこと、同駅には普通電車のみが停車し、特急及び急行電車は停車せずに通過してしまうこと、本件渡線路には上り軌道の電車接近を知らせるため、その北端にブザーが、又、下り軌道の電車接近を知らせるためその南端にベルが設置されていること、しかし、接近してくる電車が特急ないしは急行電車か或いは普通電車であるかを見分ける設備はなされておらず、又被告は、その駅務員に電車通過に関する警告を乗客に対してなすことは命じていないこと、以上はそれぞれ当事者間に争いがない。
また、<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件事故の発生した西江井ケ島駅は、山陽電鉄江井ケ島駅と、魚住駅の中間に位し、この三駅には、ともに普通電車のみが停車し、特急電車、急行電車は停車しないこと。又同駅渡線路南側にある停止線(ベル及び注意札の設けてある礎石の延長線に近接して引いてある白線)上から軌道に対する見通しは上下線とも極めて良好であること。
(二) そして本件事故のあつた同駅渡線路は、右電車軌道を南北に横切り、渡線路南側の停止線から、同北側の停止線までの距離は8.3メートルであり渡線路南北の両西端にはともに、上半分に赤色で『御注意』下半分に黒色で『電車にお気をつけてお渡り下さい』と書かれた立札式による注意標識(後者については縦約三〇センチメートル、横約二〇センチメートル)があり又、前記設置されていることにつき争いない上り電車用ブザーは、特急電車の接近による警鳴開始後同電車が本件渡線路を通過し終るまでの約二五秒間警鳴すること、特急電車と普通電車との区別は車両の前面に掲げられている標示によつて判別できるのみで、車両の型式、色彩によつては区別できないこと、本件渡線路には、以上の施設のほかには他に遮断機等の保安設備がないこと。
(三) 又、本件渡線路を軌道敷南側の停止線から北側の停止線まで通常の歩行速度で横断すると七秒を要すること。
(四) 他方進行電車についてみると、特急の進行速度は最高時速八〇キロメートル、踏切通過の際には警笛二声を吹鳴することが被告会社の運転取扱心得として定められているがその警鳴すべき場所、及び特急、急行等の通過列車が駅通過の際、減速するとは定めていないこと。
(五) また、停止線からの見通し状況は前示(一)のとおりではあるが、他方進行中の上り電車より見た場合、本件渡線路を横断しようとする停止線上の歩行者を発見するのは停止線の西方にある柵駅舎等の工作物が視野に影響して、良好とはいえないこと。
(六) 前記上り軌道を時速七五キロメートルで進行し非常制動をかけた時の制動距離は約二三〇メートルであること。
以上の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
2 そこで次に本件事故の原因について判断する。
前掲証拠によれば、被告会社の電車運転手である訴外松崎忠司は上り東二見実発阪急六甲行、三両編成、運行番号〇一五〇二列車を運転し時速七五キロメートルで東進し、西江井ケ島駅手前約二〇〇メートルの地点で同駅通過のための長声二笛を吹鳴した後、右同一速度で、本件事故現場の同駅渡線路西方約一〇〇メートルの地点に差しかかつた際、同渡線路右端の停止線付近から横断しようとしている被害者を発見し、警笛を乱鳴すると同時に非常制動をかけたが及ばず、同渡線路上り軌道北側付近で同人に同列車最前部左側エアーホース肘コック付近を衝突させ、前示の如く死亡させたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。
3 ところで原告は、被告が、上り線ホームへ行くための地下道や陸橋を作るか、又は、本件渡線路に遮断機を設置することをせず、且つ、同駅特急、急行の通過駅であるのに進行してくる列車が普通列車か特急及び急行列車かを判別る設備を設けず、又は駅務員をして、特急及び急行通過の旨を警告したり、渡線路を横断しようとする乗客を制止せしめる措置をとらなかつたので本件事故を惹起せしめたと主張するのに対し、被告は本件渡線路付近から上下軌道への見通しは良好であり、乗降客も少ない駅であるところ、同駅に接近する上り電車は警笛を吹鳴し、本件渡線路には、上り線軌道にブザー、下り線軌道にベルがあるので瑕疵は存しないと主張して争う。
そこで本件渡線路について、瑕疵が存するかについて以下に判断する。
駅構内において設けられた本件のごとき渡線路は本来列車が運行する軌道敷上を乗客がホームに到達する際不可避的に利用すべく設置されたものであるから通常の注意力を有する乗客がそれに従つて行動すれば安全にホームに向けてその軌道敷を横断出来る機能を有した保安設備を備えたものでなければならず、従つて土地の工作物たる渡線路もその保安設備と併せ一体としてこれを考察すべきである。そして、更に当該渡線路に一応の保安設備がある場合、その程度の保安設備でもつて、工作物たる当該渡線路の設置(又は保存)に瑕疵がないといえるか否かについては、当該渡線路からの見通しの良否、列車の回数など駅構外の踏切道における保安設備の場合の基準が参考になるほか、利用乗客数、列車の種別(当該駅停車列車かどうか)はもちろん当該渡線路を利用する乗客一般に予想される行為態様等を基準として、当該保安設備をもつて、軌道を進行してくる列車と乗客との接触事故を防止するのに十分であるかどうかを、具体的に判断すべきである。
そこで本件渡線路における保安設備について以下考察する。特急電車が右駅を通過する際(なお前掲各証拠から、その際の速度は時速七〇ないし八〇キロメートルであると認められる)その二五秒前から本件渡線路の上りブザーが警鳴を開始するようになつていることが認められ、このことから、同ブザーの警報機を作動する装置は右駅から約四八〇ないし五五〇メートル西方軌道付近にあり、普通電車の場合でも電車が同地点を通過するときに同ブザーが警鳴を開始するものと考えられ、これに反する証拠はない。ところで、同駅で停車する普通電車の進行速度をみるに、同駅の約七〇〇メートル西方にある魚住駅を発車して加速するが特急等通過電車ほどの速度にあげることもなく、進行した後或る地点以降は漸次減速し西江井ケ島駅で停止するのであるから、前示ブザー警鳴作動装置のある場所が一定している事実を合わせ考えるとそのブザー警鳴時間は特急電車の場合(二五秒間)に比して更に長い(換言すれば普通電車はブザーの警鳴開始からホーム到着までに長い時間がかかる)と推測される。ところで前示認定のとおり本件渡線路通過の所要時間は通常歩速で七秒あればよいのであるから、進行してくる列車が同駅で停車する普通電車の場合は警鳴が開始してからでもしばらくの間は渡線を始めても通常人の歩速で渡り終えることが十分可能であると考えられる。また、構内渡線路の場合、軌道敷向う側のホームを利用する乗客は当該接近してくる電車が自己の乗車せんとするものである場合には、時として、同電車到着までにあえて渡線路を渡ろうとすることは十分ありうることと思われる。ところで本件渡線路付近には、この様に警鳴装置が始動してから渡線路を横断歩行するような乗客の行為から生ずる可能性のある電車との接触事故を防止するに足りる保安設備がないこと前記認定のとおりである。被告は警報機の警鳴開始後は凡そ渡線を開始すべきではなく、又普通電車通過後に渡線を開始しても十分同電車に乗車できると主張するが、警報機の警鳴はいわゆる注意信号の効果しかなく、当然に横断を中止させる効果をもつものではないから、前示のように警報機の警鳴開始のみにより乗客が、電車通過終了まで、絶対に渡線路の横断をしないとはとうてい言い得ず、又本件渡線路北側の中央から停止した電車の最後部の乗降口までは約一五メートあるから前示歩速で行くとすれば約一三秒を要する計算になり、しかも、右部分はやや勾配をなしていることを考えに入れれば結局、渡線路南端の停止線から上りホームの列車後部乗降口までは約二〇秒(通常歩速で)を要することになり、かくては同駅の乗降客が少なく停車時間も短いことを考え合わせると電車の通過後渡線したのでは電車車掌等の特別な配慮等がない限り乗り遅れるおそれのあることが明らかである。従つて通常の乗客の心理としては、同駅に停車する普通電車の場合にはなるべく電車到着前に渡線路を渡つておこうと考えるのはありえないことではない。
右の様な事実関係を総合すれば、警報機の警鳴開始後でも、乗客があえて渡線を開始することは十分考えられることである。そうすれば、被告としては乗客の右の行為から発生することが予想される電車との接触事故をさけるべく、遮断機の設置はともかく、少なくとも右警報機のほか接近してくる電車が同駅を通過するものであるか否かを乗降客が容易に判別できるような設備を設けるのでなければ本件渡線路はその設置又は保存に瑕疵があるといわざるをえない(なお、その方法として物的設備だけではなく駅務員をしてこれに代る措置をとらしめることも可能である。)
そして本件事故を考えると、もし本件渡線路に右の如き設備があれば前示被害者が接近する電車が特急であるとは知らず敢て渡線し本件事故に至るようなことはなかつたものと認められるから、本件事故は渡線路の設置保存に瑕疵のあつたことが一つの原因となつて発生したものと認められ、従つて被告は原告らに対し、同人らが被害者の死亡により受けた損害を賠償すべき義務がある。
なお、被告は鉄道監督局長から陸運局長宛昭和二九年四月二七日鉄監第三七四号『地方鉄道及び専用鉄道の踏切保安設備設置標準』及び『踏切道の保安設備の整備に関する省令』を参考とすべき旨、又、関西地区の他の私鉄の状況をも比較すべき旨を主張するが、右『標準』ないし省令は保安設備等の瑕疵を判断する上で参考にはなるが右は一般的に必要とすべき行政上の基準に止まるので渡線路の瑕疵を判断するにつきこの標準に従うによつて足れりとするには疑問があり、前示の如く構内渡線路の特質に合わせて考慮すべきであり、又、他社との比較が直接右瑕疵の存否を判断する資料になるとはいえず、従つて、被告の右主張はとることができない。
(原田久太郎 須藤繁 片岡博)